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「荒野へ」ジョン・クラカワー 緊迫感溢れるドキュメンタリー [本ノンフィクション:冒険・登山、遭難]

荒野へ

荒野へ

  • 作者: ジョン・クラカワー
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2007/03
  • メディア: 文庫
8点
 
ロマンティストで理想主義で無謀な若者が、文明を捨て自然に挑戦しようとし、悲惨な最期を遂げた、それをお涙頂戴もの的にまとめた話・・・読む前はそんな内容だと思っていた(^^;)。
あまり食指がそそられない内容だったけど、ジョン・クラカワーの別の著作「空へ」がとても面白かったので、買ってみた。
 
いやぁ大正解!面白いっ!!
クラカワーは、綿密な取材によって得た情報を積み上げ、臨場感溢れるルポを書く作家である。
この作品でも、その部分は生きている。
最後には悲劇が待ち受けているこの事件、そのせいで、この作品のそこかしこに悲壮感・緊迫感が漂っている。そして、その雰囲気を上手く維持しながら、青年の生き方を見事に描いている。
 
人というのは誰もがいろいろな顔を持っている。しかし、事件・事故の被害者を扱う場合、ある一面だけを強調する事になりやすい。
しかし、クラカワーは、アラスカの荒野で死亡した青年の成育暦や放浪の軌跡を辿り、いろいろな人の視点からその青年を語る事により、その青年の持つ多面性を見事に描いている。
そして、青年の残した手記から垣間見ることができる、青年の孤独と、孤独への賞賛。
たった一人、荒野に入り、青年は孤独の中で何を見たのだろう。
クラカワーは、綿密な取材により、青年の心にあった物に近付こうと努力している。
 
また、クラカワーは、この事件の後、多くの人が思った「愚かな若者が、自分の力量も省みず、無謀な行動をとった末、命を落とした」という意見に、この本で反論している。
 
青年は確かにロマンチストであった。文明を否定し、自然の中で生きる事を最上の事と考えた理想主義者でもあった。思い立つと周囲から見れば無謀とも思える行動をとる人間でもあった。学業で優秀な成績を収めた頭の良い青年でもあった。彼が放浪中会った人の多くが、彼を知的で、礼儀正しい、印象のよい青年だったと記憶している。その半面、孤独を好み、周囲にあわせるのが難しいタイプだと感じた人間もいた。自然の中で生き抜く力を自分は持っていると自信過剰気味な部分もあれば、サバイバルの為の知識を習得しようと努力していた跡も見える。
様々な視点から青年を捉える事で、複雑な青年の姿が見えてくる。そして、彼が何故荒野に行ったのか、何故死ななければならなかったのかを、複雑な青年の性格や思考と絡めながら、今まで誰も知らなかった青年の放浪の軌跡をまるで映画を見ているかのように、再現してくれている。
 
そこには文明の中で忘れ去られたロマンがある。自分の生きたいように生きようとするパワーがある。
もちろん、著者であるクラカワーがそれを手放しで賞賛している訳ではない。でも、青年の行動を「自然を甘く見ていた為の報い」「愚かである」と断罪する前に、青年の事をもっと知って、再考して欲しいという願いが感じられる。
 
クラカワーが青年を弁護する裏には、青年の行動が、若い頃の自分の行動と重なる部分が多いという事がある。
その著者の行動は、この本の中でもかなり詳しく述べられているが、「エヴェレストより高い山―登山をめぐる12の話 」という短編集の中の「デヴィルズ・サム」でも語られている。
単身デヴィルズ・サムの登頂に挑んだ著者は、死んでも不思議では無い極限の状況に自ら飛び込んでいるのだ。
 
著者は言う。
「彼は運が悪く、私は良かった。私が運悪く死んでいたら、青年と同じ様に無謀であると非難されたであろう」と。
 
荒野に1人入り命を落とした青年の生き方を追う事により、荒野に魅せられる人々の気持ちを、無謀とも思える冒険に身を投じる心理を、探ろうとした一冊。地味ではあるが面白い。
 

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コメント 2

Cry For The Moon

chokoさん、はじめまして。
映画「Into The Wid」、そしてクラカワー関連で映画「デスゾーン」を見て、今その原作「Into Thin Air」を読み終わったところです。

>クラカワーは、この事件の後、多くの人が思った「愚かな若者が、自分の力量も省みず、無謀な行動をとった末、命を落とした」という意見に、この本で反論

まだ原作は未読ですが映画に対し同じ様な感想を言う知人もいて、少し違うんじゃないかと感じていましたので深く同感しました。

>青年の行動を「自然を甘く見ていた為の報い」「愚かである」と断罪する前に、青年の事をもっと知って、再考して欲しいという願い

本当にそうですね。
植村直己さんや他の有名な登山家、極地冒険家ですら最期はあっけなく亡くなったりしてる。
人間なんて明日をも知れないという事実を、彼らは教えてくれる気がします(本人は望んでないでしょうが)

文明社会でぬくぬくと生きてる人間が安直に批判しても意味がないと思うのです。

逆に人工的なものに囲まれ過ぎた中で暮らしてる現代人にとって「生き死に」はあまりに遠くリアルではないという事実がはたして私たちにとって良いことなのかそうでないのか分からなくなります。

自動車やコンピュータ、携帯に囲まれた人間が極地で自給自足してるエスキモー、シェルパより優れている、と言い切れるのかな?
「Into The Wild」のクリスはそう考えてあえて荒野へ飛び込んだのではないかと思うのです。
by Cry For The Moon (2008-10-11 20:31) 

choko

Cry For The Moonさん、はじめまして。
コメントありがとうございます(^^)。

「Into The Wild」鑑賞されたのですね~!
羨ましいです。近場でやっていなくて(T_T)。
Cry For The Moonさんの映画から受けた気持ちを読んで、映画でも、原作者クラカワー氏の思いが上手く表現されているんじゃないかと思い、ますます見たくなってしまいました。

人の行動や生き様というのは、Cry For The Moonさんが、エスキモーなどを例に挙げている通り、ある一面からだけ見て評価できるものではないですよね。

>文明社会でぬくぬくと生きてる人間が安直に批判しても意味がない
うんうん、自分の生きている世界の価値観が全てじゃないと思います。
アメリカ民主主義の押し付けなどを見ても、同じように感じます。

何でも、いろいろな面をもっていることを踏まえて、受け入れる・評価するというのが大切だと思うのですが、一面だけから評価する方が楽というのも確か。
多面的に考えると堂々巡りに陥っちゃう事もありますし。
そうなってしまいがちでも、違う視点で物を考える事の大切さを教えてくれる話なのかもしれないですよね(^^)。
by choko (2008-10-12 22:19) 

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