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「証言記録-兵士たちの戦争2」玉砕を命じられないこともまた悲劇なのか・・ [本ノンフィクション:戦争・戦記]


証言記録 兵士たちの戦争〈2〉

証言記録 兵士たちの戦争〈2〉

  • 作者: NHK「戦争証言」プロジェクト
  • 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
  • 発売日: 2009/02
  • メディア: 単行本


7.5点


NKHの「証言記録-兵士たちの戦争」シリーズの2巻。

1巻3巻は先に読みました。

第二次世界大戦で生き延びた兵士たちの貴重な証言を集めた本。

2巻の内容は以下の通り

・フィリピン絶望の市街戦

陸上の戦闘の訓練も受けたことの無い海軍兵士たちが、武器もほとんど無いままアメリカ軍と戦った。

市街地が戦場になった為、多くのフィリピン人が巻き込まれ、
またフィリピン人のゲリラを警戒した日本軍により、多くのフィリピン人が殺されもした。

命令とはいえ、民間人を殺さなければいけなかった兵士の苦悩、
またその時はどうしようもなかったという悔恨、それらが語られている。

・フィリピン・レイテ島 誤報が生んだ決戦

台湾沖航空戦で日本が圧勝したという誤報を元に、弱っているアメリカ軍を叩くために計画された決戦。
しかし、それは誤報であり、アメリカ軍の戦力は予想をはるかに上回る規模だった。
短期戦のつもりで上陸し、満足に武器も食料も持たず戦闘に挑んだ兵士達の悲劇が語られている章。

・ガダルカナル 繰り返された白兵突撃

昭和17年、まだ日本が連勝し「敵は弱い」という認識を持ち、軍が自分達の力を過信していた時期。
しかし、その状況は大きく変わりつつあった。
敵の武器が圧倒的に進化しているのを知らず、戦いに挑んだ兵士達は、
マシンガンを相手に、白兵突撃を繰り返すことになる。

戦場の地形をくまなく調べ、入念に作戦を立てているアメリカ軍と、
情報不足のまま過去の戦略の固執する日本軍の対照的な姿が印象に残る章。

・沖縄戦 住民を巻き込んだ悲劇の戦場

国内最大規模の地上戦が行われた沖縄。
それは住民を巻き込む悲惨なものだった。

軍が民間人を殺したり、沖縄の方言を話しただけでスパイ容疑で殺されたりなど
沖縄の人々が体験した惨い出来事にも少し触れられているが、それに関する話は少ない。
沖縄戦の悲惨さを知るには、「ドキュメント沖縄1945」などもう少し詳しく書いてある本を読む方がいいかも。

・ペリリュー島 終わりなき持久戦

「ペリリュー島を死守せよ」の命令の元、玉砕を禁止された部隊の悲劇。

雲泥の差がある武力を持つアメリカ軍に、無駄死にとしか思えない白兵突撃を繰り返す戦場の話は
たくさん読んだが、この島の部隊は、それを禁止された。
「硫黄島」もそうだったが、このペリリュー島は、「硫黄島」と違い、戦略的意味も早々に失っていた。

玉砕を禁じられた兵士達は、飢えと恐怖の中、錯乱したり自決したりしていく。
白兵突撃し玉砕するというのは、上部の命令による愚かな作戦だと思っていたが、
「死んで英雄となる」という望みすら絶たれた兵士達の絶望がとても深いことに衝撃をつけた。

・ニューギニア・ビアク島 幻の絶対国防圏

ニューギニアのビアク島で、自給自足での食料確保を命じられた部隊の悲劇。
さんご礁でできている島で土が無いにも関わらず、畑を作り自給自足を命じた本部。
ここでも、本部の調査不足が露呈している。

・インパール作戦 補給なきコヒマの苦闘

兵士達の骨が累々と連なり、「白骨街道」とまで呼ばれるほどの死傷者を出したインパール作戦。
ここでも、補給の無計画さにより、前線の兵士達は、武器も食料も無くなり、次々と倒れていく。

補給物資を牛に運ばせるという計画は、牛が川を渡れず、渡れたとしても次々に倒れ、
早々に牛は全滅してしまっている。
これを、チンギス・ハンの作戦を見習い提案した牟田口司令官は、
作戦のすばらしさを自画自賛していたようだが、結局兵士達を追い詰めるだけの結果に。

この章で取り上げられている陸軍歩兵第58連隊は、第31師団に属している。
第31師団の佐藤師団長は、このままでは全滅すると、本部の命令を無視し撤退を命じたことで有名である。

インパール作戦には、他の師団もいくつか参加しているが、撤退を命じた師団長は佐藤師団長だけ、
これによって助かった者も多いという(撤退の途中で息絶えるものが多かったとしても)。

ということで、この佐藤師団長の英断を、勇気ある行動とみる事も多く、私もそう思っていた。

しかし、インパールに展開していた別の師団は、この命令無視の31師団の撤退により、
仲間(31師団)が守っているはずの方向から、敵が攻めてきて大打撃を受けたというのを別の本で知り、
何事も短絡的に見られないものなのだと思った記憶がある。


上記で語られたどの戦場も90%以上の兵士が亡くなっている。

またこの本で語られる話の多くが、圧倒的な武力と進んだ兵器を持つアメリカ軍に対し、
ほとんど武器も無いまま、特攻を繰り返す日本兵の姿だ。

インパールの「牛を輸送に使う」など、現地の状況を省みず、
机上の理論だけで作戦を立てている司令部。
その司令部の命令で、兵士達が道具として使い捨てにされていく。
そのような理不尽が生き残った兵士達によって、切々と語られている。

生き残った兵士達は、そのような状況で死んでいった仲間達の無念さを思い、
また自分だけが生き残ってしまったという恥入り、それらを一生胸に秘めて生きている。

戦後何十年経っても、心の傷は癒えることがないのだと改めて思った。

シリーズ1~3、どれもお勧めです。
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コメント 2

コステロ

しかし、上層部がそんなんで、それでも数年間戦ったんですから、
上がマトモだったら日本はどんだけ強かったんでしょうね。
by コステロ (2009-12-03 10:44) 

choko

コステロさん

軍が強いというよりは、兵士一人一人の気持ちが大きかったんじゃないかと。
みんな、生きて帰れることはないって覚悟を決めて戦地に赴いてましたから。
これってすごいですよね。

上層部がまともだったら、少しでも有利な状態で戦争を終結させようと
頑張ったんじゃないかと。
物量の差、技術の差がものすごく大きかったですから、戦術的にどうこうは難しかったかなーと。

ベトナム戦争で、北ベトナム軍がアメリカ相手に戦えたのは、
共産圏から兵器の供給があったりして、第二次世界大戦ほどの差が無かったのも大きかったんじゃないかと思えますし(ゲリラ兵は地上から戦闘機を打ち落とせる兵器を持ってたけど、日本軍は、そういうものすらなかったですし)。

日本は元寇と日露戦争くらいでほとんど対外的な戦争を行っていなかった&負けたことがなかったので、負け方を知らなかった・・というのが第二次世界大戦の悲劇だと思うんですよね。
by choko (2009-12-03 23:55) 

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