「地雷を踏んだらサヨウナラ」一ノ瀬泰造:アンコールワットを求め、散った戦場カメラマン [本ノンフィクション:戦争・戦記]
7点
1970年代内戦のカンボジアを取材し、共産軍支配下にあるアンコールワットの撮影を切望しながら、
志果たせず行方不明になった戦場カメラマン一ノ瀬泰造の手記や手紙を集めた本。
彼の生き様は映画「地雷を踏んだらサヨウナラ [VHS]」にもなっているようです。
本を構成する大半が彼が出した手紙。
カンボジアの人々との穏やかな生活が描かれるかと思えば、
すぐ側にいる兵士が死んで行くような危険な前線での撮影の話が書いてあったりもする。
前半に掲載されている手紙は、駆け出しのカメラマンである彼の、
青臭いとも言える野望と、試行錯誤が伺える内容になっている。
ほんの1~2年なのに、後半の手紙で見られる成長には目を見張るものがある。
銃弾がヘルメットを貫通したり(運良く軽症)、何度か負傷したり、
攻撃で撃沈される可能性の高い船に乗り込んだり、前線で命がけの撮影を行う中、
彼の気持ちがいろいろと変化していく様が、手紙から感じられる。
手紙が中心な為、客観的視線が少なく、一ノ瀬泰造の経歴を追うのには不向きだけど、
前半・後半とも変わらない彼の行動力と撮影に対しての熱意には、心打たれる。
またカンボジアの人々や、前線での兵士に関するエピソードは、
戦時下に生きる人々の様子がまざまざと伝わってくる。
今までベトナム側から描かれたものしか読んだことが無かったカンボジア内紛に関して、
カンボジア側からの視線で読むことができたというのは、すごく良かった。
ロン・ノル指揮下のカンボジア政府軍は、アメリカの後ろ盾を得、カンボジアを支配した政権であり、
ベトナム側から見れば「カンボジア政府」は敵であり悪
(カンボジア国内のベトナム人を虐殺したりもしてるし)。
なので、ベトナム視点の戦記を読むと、どうしてもそういう視点になってしまう。
しかし、「悪の政権-カンボジア政府軍」に支配されているはずのカンボジアでは人々が穏やかに暮らし、
その生活を壊すのは、ベトナム軍や共産軍(クメール・ルージュ)なのである。
戦争というのは、どちらの立場に立つかで見方・捉え方が全く変わるというのがよくわかる。
また、前半は、まだ戦闘が穏やかであり、敵である兵士同士が冗談をいいあったり
(その後打ちあったりもするんだけど)、急に銃撃がやみ、両軍とも昼食タイムに入ったりと、
のんびりした一面があったが、後半、戦闘は殺伐とした激しいものに変わっていくのも興味深かった。
タイトルである「地雷を踏んだらサヨウナラ」は、地雷が大量に設置され、
共産軍支配下だったアンコール・ワットに無謀にも撮影に向かった彼が友人への手紙に書いた一言。
そして、彼は帰って来なかったわけだけど、全編を通して見られる若さ故の無謀さ、無鉄砲さは、
もう自分には無いものなので羨ましいと思う反面、
それを心配する母親の気持ちと自分の気持ちがリンクするので辛い。
単独サハラ砂漠横断にチャレンジし、
志半ばで亡くなった上温湯隆の「サハラに死す」を読んだ時も思ったけど、
若い頃思い切って何かをやってみるのは必要だけど、命だけは大切にして欲しいと
親である身としては切に願ってしまった。
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