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「密林の語り部」M・バルガス=リョサ著:アマゾンの未開部族の語り部となった青年を通し、未開部族の直面する問題を説く [本:文芸]

密林の語り部 (新潮・現代世界の文学)

密林の語り部 (新潮・現代世界の文学)

  • 作者: マリオ バルガス・リョサ
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1994/02
  • メディア: 単行本
7.5点

少し前文庫版「密林の語り部 (岩波文庫)」も出ました。

ラテンアメリカ文学は、ボルヘスしか知らないし、彼のは幻想文学しか読んでいないので、
普通の長編小説を読むのはこれが始めて。

この本はフィクションだけれど、アマゾンの未開の先住民たちに対して、
侵略してきた白人達や、文明化された人々がどんなことを行ったのか、
先住民たちがどんな悲惨な目にあったのかが(北アメリカのインディアンと同じような感じ)
書かれており、歴史的・文化人類学的側面も持っている。

マスカリータと周囲から呼ばれる、顔半分が醜い痣に覆われたユダヤ人の青年。
彼は、アマゾンに暮らす未開の人々に惹かれ、そこに足蹴く通うように。
作中で語られる「マチゲンガ族」達の伝説と話。
それは、時間の流れや空間を超え、神の話も、過去の話も、個人の日々の体験も、
すべてが同時に語られるものだった。
白人や文明化した人々が、アマゾンに住む未開の民族達に行った、虐殺、奴隷化、様々な弾圧・・・、
それらは、神話の中の事のようにも、語り手が実際体験したことのようにも語られる。
現代社会で、文明と接しながらも、自分達の神と共に生きる人々。
彼らを文明化したり、キリスト教を布教しようとする人々や政策に、
強く反発するマスカリータがとった行動とは・・・。

時間も空間も交じり合ったマチゲンガ族達の話は、神と共に生きるということが、
どういうことなのかを想像させてくれる。
神のお告げに従ったのか、現代人から見れば愚行にも見える、手をかけて育てた田畑を突然捨て、
放浪しだしたりする人々。
軽い病気でも、生きることを諦めてしまい、自ら症状を悪化させるような事をする人々。
自分が殺した獲物には触ってはいけないなどの様々な禁忌を、頑なに守る人々。

それは先日読んだ中世ヨーロッパの人々と信仰、物の考え方・捉え方について、
作中で語られている「灰色の季節を越えて」(リンク先感想)よりも、神があまりにも身近すぎて、
想像し難い思考・生活パターンだ(奈良平安時代の貴族の生活に近い?)。
しかし、それこそが、彼らの文化であり、生き方でもある。

またマスカリータの、「神は空気であり、水であり、本質的に必要であり、
なければ生きていけない」未開の民族の文化と、
「日常生活に何の役にもたたない抽象的な神」の現代人の文化についての言及は、
興味深かった。

徐々に文明化しつつあっても、尚神と共に生き続ける人々の姿は、
現代文明のあり方を改めて見直す視点を与えてくれる。
未開の民族が、非合理的な習慣に囚われていたり、食人の習慣が残っていたり、
タブーをおかした仲間や部外者を、問答無用で追放したり殺したりしていても、
ある視点から見れば、現代人の方がより野蛮だと思えてしまう。

自己利益の為の限りなき自然破壊、搾取・・・・それに直接関与していなくても、
今、この文明社会の恩恵を受けて暮らしている私達は、その行為の上で生活しているのだ。
神を必要としなくなった世界、タブーという歯止めがない世界は、終焉に向かって突き進んでいる気もする。

神と共存する人々の世界と、「語り部」という存在を通して語られる文学のあり方、
そして現代社会へのシニカルな視点、3つの事が融合した興味深い作品だった。
作中で語られる「語り部」の話は、時間も空間も主語も飛ぶので、ちょっと読みにくいけど、
逆に、それがまた独特の雰囲気を醸し出していて面白くもあった。

万人向けじゃないけど、上記3点やラテンアメリカ文学に興味がある人にお勧め。

アマゾンの未開の民族の生活に興味があるのであれば150日間、
アマゾンの未開の民族ヤノマミ族を取材した「ヤノマミ」(リンク先感想)がお勧め!
現代文明とは全く違う人々の価値観などがかいま見えます。
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