「女中がいた昭和」小泉和子著:昭和戦前後まで「女中」は普通の家庭にもいた [本:歴史]
6点
昭和戦前後まで、それほど裕福でもない家庭にも女中がいた。
何故、それほど需要があったのか。
そして、女中の待遇、女中のなり手、女中の心得、女中の人権、女中が消えた理由・・・などを、
当時の新聞記事や本、データなどから紐解いた本。
それほど裕福でも無い家庭にも、女中がいた昭和戦前後。
それは、西洋文化の流入によって、主婦の仕事が雑多で複雑になったからだと著者は言う。
水洗いだけで楽だった状況から、石鹸などが輸入され、しっかり洗うようになり、洗濯は重労働に。
服も、直線縫いの着物から、カーブのある洋服へ。
当時は、布を買って服を作るのが普通だったらしいから(サザエさんの早い方の巻を読むと
生地から洋服を作ってる)、大変だったと思う。
開放的な日本の家は、ホコリが入りやすく、掃除も大変。
まだ薪で煮炊きをしていた家庭も多く、炊事はずっと重労働。
主婦一人では賄い切れないため、普通の家庭でも女中を雇ったという。
ただ、気になったのは、この本で言われている「普通の家庭」。
確かに、裕福ではない、今で言う「庶民的な家庭」なんだけど、それを今の「中流家庭」に
あてはめてしまうと、大きな誤解を生みそうな気がした。
女中数はだいたい80万人前後ということで、当時の世帯数は調べたら1100万世帯ぐらい。
複数の女中を雇っていた家庭も多かったようだけど、それを考えなくても、
女中がいたのは、10軒に1軒。
1割程度。
実際は1割にも満たなかったのかもしれない。
ジニ係数がとても大きかった明治から昭和戦前戦後、「庶民的な家庭」ですら、
今で言えば、かなり裕福な家庭、今の年収1千万とか2千万くらいの立場だったんじゃないかと。
それを考えると「普通の主婦の家事が煩雑に雑多になった」と言っても、それは、
今の○○ガネーゼとか○○マダムなんて呼ばれている人の生活を、「普通の生活」と言って
論じているように思えてしまって違和感が。
ちなみに、ジニ係数が極端に低くなったのは、敗戦後で、ここで貧富の格差がかなり解消し、
今で言う「中流家庭」が大量にできたんだと思う。
実際お年寄りに話を聞くと、お手伝いさんがいたという方もいたけど
(親戚の若い人が無給に近い状態で来てたってのもあった)、
子供の頃は寝間着もなく服は着たまま、洗濯も頻繁じゃなく、着物が普通で、洋服を来てたのは
お金持ちだけ。畑で作物を作り、豚や鯉を飼ってそれをつぶし、ほとんど自給自足、
女中さんがいるのは地主さんだけなんて話や、6畳一間に家族6人で住んで、
食事もとても貧しかったなんて話も多い。
女性の職業としては、女工と並ぶ人数だった女中という仕事は、
確かに今より何倍も身近ではあったんだろうけど、当時のほとんどの家庭ではやっぱり
雇えないものだったんじゃないかと思ってしまった。
そうすると「昭和の主婦の仕事が女中を雇わないとできない」状態だったのであれば、
女中を雇えない多くの家庭はどうしていたんだろう?と思ってしまう。
その点が気になったけど、最初は「お武家様などに行儀見習に入る」など、
花嫁修業的意味合いが強く、ステイタスともなった「女中」という仕事が、
徐々に「下の仕事」、「女中と呼ばれたくない。名前で呼んで欲しい」と、
誇れない仕事になっていくのは興味深かった。
また女中の人権の無さについて言及されている章があるが、
それは当時の女性の人権の無さともリンクしている。
女中と敗戦後米軍家庭に雇われた「メイド」との違い、女中の不満・希望だけじゃなく、
雇う側の視点、女中を使う難しさなども面白かった。
でも、帯にも書いてあり、この本のキャッチでもある「裕福じゃない家庭にも女中はいた」というのは、
上記の理由でしっくり来なかったので、点数は低め。
昭和戦前後まで、それほど裕福でもない家庭にも女中がいた。
何故、それほど需要があったのか。
そして、女中の待遇、女中のなり手、女中の心得、女中の人権、女中が消えた理由・・・などを、
当時の新聞記事や本、データなどから紐解いた本。
それほど裕福でも無い家庭にも、女中がいた昭和戦前後。
それは、西洋文化の流入によって、主婦の仕事が雑多で複雑になったからだと著者は言う。
水洗いだけで楽だった状況から、石鹸などが輸入され、しっかり洗うようになり、洗濯は重労働に。
服も、直線縫いの着物から、カーブのある洋服へ。
当時は、布を買って服を作るのが普通だったらしいから(サザエさんの早い方の巻を読むと
生地から洋服を作ってる)、大変だったと思う。
開放的な日本の家は、ホコリが入りやすく、掃除も大変。
まだ薪で煮炊きをしていた家庭も多く、炊事はずっと重労働。
主婦一人では賄い切れないため、普通の家庭でも女中を雇ったという。
ただ、気になったのは、この本で言われている「普通の家庭」。
確かに、裕福ではない、今で言う「庶民的な家庭」なんだけど、それを今の「中流家庭」に
あてはめてしまうと、大きな誤解を生みそうな気がした。
女中数はだいたい80万人前後ということで、当時の世帯数は調べたら1100万世帯ぐらい。
複数の女中を雇っていた家庭も多かったようだけど、それを考えなくても、
女中がいたのは、10軒に1軒。
1割程度。
実際は1割にも満たなかったのかもしれない。
ジニ係数がとても大きかった明治から昭和戦前戦後、「庶民的な家庭」ですら、
今で言えば、かなり裕福な家庭、今の年収1千万とか2千万くらいの立場だったんじゃないかと。
それを考えると「普通の主婦の家事が煩雑に雑多になった」と言っても、それは、
今の○○ガネーゼとか○○マダムなんて呼ばれている人の生活を、「普通の生活」と言って
論じているように思えてしまって違和感が。
ちなみに、ジニ係数が極端に低くなったのは、敗戦後で、ここで貧富の格差がかなり解消し、
今で言う「中流家庭」が大量にできたんだと思う。
実際お年寄りに話を聞くと、お手伝いさんがいたという方もいたけど
(親戚の若い人が無給に近い状態で来てたってのもあった)、
子供の頃は寝間着もなく服は着たまま、洗濯も頻繁じゃなく、着物が普通で、洋服を来てたのは
お金持ちだけ。畑で作物を作り、豚や鯉を飼ってそれをつぶし、ほとんど自給自足、
女中さんがいるのは地主さんだけなんて話や、6畳一間に家族6人で住んで、
食事もとても貧しかったなんて話も多い。
女性の職業としては、女工と並ぶ人数だった女中という仕事は、
確かに今より何倍も身近ではあったんだろうけど、当時のほとんどの家庭ではやっぱり
雇えないものだったんじゃないかと思ってしまった。
そうすると「昭和の主婦の仕事が女中を雇わないとできない」状態だったのであれば、
女中を雇えない多くの家庭はどうしていたんだろう?と思ってしまう。
その点が気になったけど、最初は「お武家様などに行儀見習に入る」など、
花嫁修業的意味合いが強く、ステイタスともなった「女中」という仕事が、
徐々に「下の仕事」、「女中と呼ばれたくない。名前で呼んで欲しい」と、
誇れない仕事になっていくのは興味深かった。
また女中の人権の無さについて言及されている章があるが、
それは当時の女性の人権の無さともリンクしている。
女中と敗戦後米軍家庭に雇われた「メイド」との違い、女中の不満・希望だけじゃなく、
雇う側の視点、女中を使う難しさなども面白かった。
でも、帯にも書いてあり、この本のキャッチでもある「裕福じゃない家庭にも女中はいた」というのは、
上記の理由でしっくり来なかったので、点数は低め。
「水洗いだけで楽だった状況から、石鹸などが輸入され、
しっかり洗うようになり、洗濯は重労働に』って、
むしろ逆なんじゃないか?って気がしますケドね。
石鹸のおかげで以前と比べ、楽してキレイになるんじゃないか、って。
服だって、女中を雇うような家庭なら、男は袴とか履いていただろうし、
袴の洗濯なんてそりゃぁもう大変ですよ!
襞とか気をつけなくちゃいけないから、洗った後の処置が特に大変。
手入れに関しては洋服の方が断然楽だと思いますケドね。
でまぁ、昔は“そこそこの家”でも女中がいた、と言うのは
「職業として確立されていた」と言うのもあるでしょうし、
あるいは「習慣として当たり前とみなされていた」
って部分もあるんじゃないかと思います。
(ちなみに、昔の中国では家族に餓死者を出すような家でも奴隷がいたらしい)
それと、昔の家庭は今のような核家族ではありませんでしたから、
例えば磯野家であれば波平さんとマスオさんのように
一家に稼ぎ手が複数いることも珍しくなかったので、
「一家全体で女中の賃金を負担」と言うカタチになるので、
わりと雇いやすかったのではないか、と言う気がします。
by コステロ (2012-08-01 06:48)
コステロさん
洗濯は、「石鹸が無い時は、最初からキレイに洗う事は
諦めてサッとあらうだけ」から「石鹸で洗うとキレイになるため、
キレイになるまでしっかり洗う」に変わったと書いてありました。
>服だって、女中を雇うような家庭
そうそう、「女中を雇うような家庭」と表現できるように、
特別だったんじゃないかなーと。
江戸末期、明治初期までは、お武家さんとか、大きな商家とかが雇ってただけだったのが、徐々に、変わってきたようです。
ただ、感想でも書いているけど、言いたいのは、
今で言う「そこそこの家庭」すら、実は上流階級だったんじゃないかってことなんですよ。
発展途上国での賃金格差が問題になってますが、
月1~2万前後で働いている人が働き手が数人いても、
日々、食べるのがやっとという家庭は多く、
私達が中流と見る30万とか稼ぐ事はできないわけで、
当時も多くの家庭は、そんな感じだったんじゃないかと。
発展途上国に、日本の駐在員が行くと、日本では普通の生活なのに、
現地では裕福な立場になれる、というのと似た感じかな~と。
低賃金で働く人がいたからこそ、大金持ちまで行かなくても雇えた、
雇い易かったんだと思いますし。
本書でも、中流階級がいなかった時代から、明治・大正に入り、
新興の中流階級層ができたという事が書いてあるのですが、それは
10%にならないくらいだったらしいです。
9割が貧しい世帯だったのに、1割を「普通の生活の基準としている」のに、違和感を感じたというか。
まとまってないけど、時間がない(^^;)。
by choko (2012-08-01 08:54)
言わんとすることは解ります(笑
要するに「そこそこ裕福な家庭」を「中流階級」として位置づけたとしても、
それが「平均的な家庭」か?と言えば
決してそーではないだろう、と言うコトですよね?
現在では「中流」と言う言葉が、「平均」と同義語のように使われちゃってるけど、
当時は決してそーゆーワケじゃなかったんじゃないか?って。
by コステロ (2012-08-02 07:45)
コステロさん
すっきりキレイにまとめてくださってありがとです(笑)♪
そそそそ、そういう事。
「大正・昭和の主婦の家事労働は大変だった」と、
少数派だった「中産階級の生活」が多数派と誤解されそうな表現、
一般論的に述べているのが気になったのです。
「今の中流家庭のベースともなっている、
当時は少数派であった中産階級の生活では」というような論旨だったら気にならなかったと思うのですが。
by choko (2012-08-02 15:49)