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「女中がいた昭和」小泉和子著:昭和戦前後まで「女中」は普通の家庭にもいた [本:歴史]

女中がいた昭和 (らんぷの本)

女中がいた昭和 (らんぷの本)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2012/02/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
6点

昭和戦前後まで、それほど裕福でもない家庭にも女中がいた。
何故、それほど需要があったのか。
そして、女中の待遇、女中のなり手、女中の心得、女中の人権、女中が消えた理由・・・などを、
当時の新聞記事や本、データなどから紐解いた本。

それほど裕福でも無い家庭にも、女中がいた昭和戦前後。
それは、西洋文化の流入によって、主婦の仕事が雑多で複雑になったからだと著者は言う。
水洗いだけで楽だった状況から、石鹸などが輸入され、しっかり洗うようになり、洗濯は重労働に。
服も、直線縫いの着物から、カーブのある洋服へ。
当時は、布を買って服を作るのが普通だったらしいから(サザエさんの早い方の巻を読むと
生地から洋服を作ってる)、大変だったと思う。
開放的な日本の家は、ホコリが入りやすく、掃除も大変。
まだ薪で煮炊きをしていた家庭も多く、炊事はずっと重労働。
主婦一人では賄い切れないため、普通の家庭でも女中を雇ったという。

ただ、気になったのは、この本で言われている「普通の家庭」。
確かに、裕福ではない、今で言う「庶民的な家庭」なんだけど、それを今の「中流家庭」に
あてはめてしまうと、大きな誤解を生みそうな気がした。

女中数はだいたい80万人前後ということで、当時の世帯数は調べたら1100万世帯ぐらい。
複数の女中を雇っていた家庭も多かったようだけど、それを考えなくても、
女中がいたのは、10軒に1軒。
1割程度。
実際は1割にも満たなかったのかもしれない。
ジニ係数がとても大きかった明治から昭和戦前戦後、「庶民的な家庭」ですら、
今で言えば、かなり裕福な家庭、今の年収1千万とか2千万くらいの立場だったんじゃないかと。
それを考えると「普通の主婦の家事が煩雑に雑多になった」と言っても、それは、
今の○○ガネーゼとか○○マダムなんて呼ばれている人の生活を、「普通の生活」と言って
論じているように思えてしまって違和感が。
ちなみに、ジニ係数が極端に低くなったのは、敗戦後で、ここで貧富の格差がかなり解消し、
今で言う「中流家庭」が大量にできたんだと思う。

実際お年寄りに話を聞くと、お手伝いさんがいたという方もいたけど
(親戚の若い人が無給に近い状態で来てたってのもあった)、
子供の頃は寝間着もなく服は着たまま、洗濯も頻繁じゃなく、着物が普通で、洋服を来てたのは
お金持ちだけ。畑で作物を作り、豚や鯉を飼ってそれをつぶし、ほとんど自給自足、
女中さんがいるのは地主さんだけなんて話や、6畳一間に家族6人で住んで、
食事もとても貧しかったなんて話も多い。

女性の職業としては、女工と並ぶ人数だった女中という仕事は、
確かに今より何倍も身近ではあったんだろうけど、当時のほとんどの家庭ではやっぱり
雇えないものだったんじゃないかと思ってしまった。
そうすると「昭和の主婦の仕事が女中を雇わないとできない」状態だったのであれば、
女中を雇えない多くの家庭はどうしていたんだろう?と思ってしまう。

その点が気になったけど、最初は「お武家様などに行儀見習に入る」など、
花嫁修業的意味合いが強く、ステイタスともなった「女中」という仕事が、
徐々に「下の仕事」、「女中と呼ばれたくない。名前で呼んで欲しい」と、
誇れない仕事になっていくのは興味深かった。

また女中の人権の無さについて言及されている章があるが、
それは当時の女性の人権の無さともリンクしている。
女中と敗戦後米軍家庭に雇われた「メイド」との違い、女中の不満・希望だけじゃなく、
雇う側の視点、女中を使う難しさなども面白かった。

でも、帯にも書いてあり、この本のキャッチでもある「裕福じゃない家庭にも女中はいた」というのは、
上記の理由でしっくり来なかったので、点数は低め。
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コメント 4

コステロ

「水洗いだけで楽だった状況から、石鹸などが輸入され、
しっかり洗うようになり、洗濯は重労働に』って、
むしろ逆なんじゃないか?って気がしますケドね。
石鹸のおかげで以前と比べ、楽してキレイになるんじゃないか、って。

服だって、女中を雇うような家庭なら、男は袴とか履いていただろうし、
袴の洗濯なんてそりゃぁもう大変ですよ!
襞とか気をつけなくちゃいけないから、洗った後の処置が特に大変。
手入れに関しては洋服の方が断然楽だと思いますケドね。


でまぁ、昔は“そこそこの家”でも女中がいた、と言うのは
「職業として確立されていた」と言うのもあるでしょうし、
あるいは「習慣として当たり前とみなされていた」
って部分もあるんじゃないかと思います。
(ちなみに、昔の中国では家族に餓死者を出すような家でも奴隷がいたらしい)

それと、昔の家庭は今のような核家族ではありませんでしたから、
例えば磯野家であれば波平さんとマスオさんのように
一家に稼ぎ手が複数いることも珍しくなかったので、
「一家全体で女中の賃金を負担」と言うカタチになるので、
わりと雇いやすかったのではないか、と言う気がします。
by コステロ (2012-08-01 06:48) 

choko

コステロさん

洗濯は、「石鹸が無い時は、最初からキレイに洗う事は
諦めてサッとあらうだけ」から「石鹸で洗うとキレイになるため、
キレイになるまでしっかり洗う」に変わったと書いてありました。

>服だって、女中を雇うような家庭
そうそう、「女中を雇うような家庭」と表現できるように、
特別だったんじゃないかなーと。
江戸末期、明治初期までは、お武家さんとか、大きな商家とかが雇ってただけだったのが、徐々に、変わってきたようです。

ただ、感想でも書いているけど、言いたいのは、
今で言う「そこそこの家庭」すら、実は上流階級だったんじゃないかってことなんですよ。

発展途上国での賃金格差が問題になってますが、
月1~2万前後で働いている人が働き手が数人いても、
日々、食べるのがやっとという家庭は多く、
私達が中流と見る30万とか稼ぐ事はできないわけで、
当時も多くの家庭は、そんな感じだったんじゃないかと。
発展途上国に、日本の駐在員が行くと、日本では普通の生活なのに、
現地では裕福な立場になれる、というのと似た感じかな~と。
低賃金で働く人がいたからこそ、大金持ちまで行かなくても雇えた、
雇い易かったんだと思いますし。

本書でも、中流階級がいなかった時代から、明治・大正に入り、
新興の中流階級層ができたという事が書いてあるのですが、それは
10%にならないくらいだったらしいです。
9割が貧しい世帯だったのに、1割を「普通の生活の基準としている」のに、違和感を感じたというか。

まとまってないけど、時間がない(^^;)。
by choko (2012-08-01 08:54) 

コステロ

言わんとすることは解ります(笑

要するに「そこそこ裕福な家庭」を「中流階級」として位置づけたとしても、
それが「平均的な家庭」か?と言えば
決してそーではないだろう、と言うコトですよね?

現在では「中流」と言う言葉が、「平均」と同義語のように使われちゃってるけど、
当時は決してそーゆーワケじゃなかったんじゃないか?って。
by コステロ (2012-08-02 07:45) 

choko

コステロさん

すっきりキレイにまとめてくださってありがとです(笑)♪
そそそそ、そういう事。

「大正・昭和の主婦の家事労働は大変だった」と、
少数派だった「中産階級の生活」が多数派と誤解されそうな表現、
一般論的に述べているのが気になったのです。

「今の中流家庭のベースともなっている、
当時は少数派であった中産階級の生活では」というような論旨だったら気にならなかったと思うのですが。
by choko (2012-08-02 15:49) 

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