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「ぼくらは都市を愛していた」神林長平著:相変わらず神林は「曖昧な事柄」に問い続けている [本:SF]

ぼくらは都市を愛していた

ぼくらは都市を愛していた

  • 作者: 神林 長平
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2012/07/06
  • メディア: 単行本

7.5点

世の中にははっきり定義付けできない曖昧なものがたくさんある。
愛情とは?知識とは?芸術とは?
神林長平の作品は、そういう曖昧な事柄への定義付けの試行錯誤が見て取れる事が多いが、
この「ぼくらは都市を愛していた」もそうだった。

今回問われているのは、人の意識と現実の認識。
自分が意識している現実は、その人の脳内で作られたもの。
自分が意識している事が、本当の事なのか、それとも虚構なのか・・・・。
他人と自分が認識しているものが違う時、どちらが正しいと、誰が判断するのか。
人の意識や、現実の認識について、何度も問いが繰り返される。

デジタルデータを破壊してしまう「情報震」。
原因も震源地も不明なそれに襲われた世界は、デジタル機器の使用が不可能になり、
世界の情報網は断絶し、それは世界的な不信感と混乱を産んだ。
人々は孤立し、そして大都市は無人となった・・・。
「情報震」を調査する日本情報軍起動観測隊の綾田ミウ中尉は、大規模な「情報震」により、
本部との連絡が不可能になり、孤立したまま調査のため、7名の隊員を率いて
無人のトウキョウに進駐する。
情報が断絶してしまった世界を綾田中尉の日記形式で描く物語。

それと並行して、上層部の命令により、体の中に人工神経網が作られ、
偽テレパシー機能を持つようになった公安の男のストーリーも進行する。
他人の携帯などのメッセージから、その人の意識を感じ取り、同じ人口神経網を作られた仲間との
テレパシーでの会話もできるようになった男。
彼は、ある殺人現場で、殺人犯と意識が交差するのを実感する。
殺人犯は、自分ではない自分。
そして、彼の仕事上の相棒は、殺害された被害者とシンクロする。
生きているけど、喉を掻き切られ殺された相棒。
犯人を追う中、自分の過去の記憶すら、他人の記憶であると指摘され、その男は混乱する。

情報が断絶した世界と、人工神経網により人々の意識がつながろうとしている世界、
この全く関係無いような二つのストーリーが交錯する時、新たなる真実が見えてくる。

本作の中で印象的だったのは、「都市」の機能。
人間は「互助」を基本として生きる生き物であり、田舎では独りでは生きていけない。
そんな人間を独りで生かす機能を持っているのが「都市」であるという下り。
言われてみれば、大都市ほど、独りで生活しやすいのは確かだ。

そんな都市と人間の関係や、通信手段を奪われた人類の辿る道を、
人の意識・認識について問いつつ描いた秀作。
この作品の基本設定である「情報震」により、通信手段・デジタル機器を奪われた人々の戸惑いや、
世界の変化が、ちょっと掘り下げ不足というか、他の事を描くための一要因でしか無いのが残念。
その辺がもっと書き込まれていれば好みだった気がするけど、そうなると、
別の話になっちゃなーとも思うからしょうがないのか。
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コメント 2

コステロ

『曖昧な事柄への定義付け』と言う一文を読んで、ふと
有吉弘行の“あだ名つけ芸”を連想してしまいました。
あれも一種の「曖昧な事柄への定義付け」?(笑


デジタル機器が使用不能になり、
通信網がマヒしてしまったりなんだりした世界で、
それでもヘーゼンとしてられるのは、
昔ながらの気質を持ったガンコおやじたちだったりして(笑

極めてアナログな手法のみを用いて、情報震の謎を解き世界を救う、
左官屋、寿司屋、工芸家具屋、靴の修理屋などからなる、
ガンコ職人チームの大活躍!とか(笑
by コステロ (2012-12-01 08:38) 

choko

コステロさん

>有吉弘行の“あだ名つけ芸”
と一緒にされたら、神林長平、泣きそうです(笑)。

昔ながらの頑固親父は、ヘーゼンとしてそうですが、
さすがに世界を救うのは、平安時代の人間が、
地震の原因を探り、それを止めようとするみたいな感じで無理な
気がします(笑)←この本の設定だとね

by choko (2012-12-01 21:32) 

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