「無縁社会 ”無縁死三万二千人の衝撃」NKH「無縁社会プロジェクト」取材班編著:NHKスペシャルの単行本化 [本ノンフィクションいろいろ]
7.5点
一人孤独に亡くなり、遺体の引き取り手も無い人が1年で三万二千人にもいるという。
それら「無縁死」した方達の生きた軌跡を、そして、孤独に生きる無縁死予備軍である人々を
取材・放送し、大きな反響を読んだ「無縁社会」の単行本版。
亡くなったあと、身元がつかめなかった人は「行旅死亡人」とされる。
第一章は、長年住んでいた賃貸アパートで亡くなったにも関わらず
行旅死亡人となった男性の、身元を追う章。
取材班は、あちこち取材して周り、どうにかその男性の本籍と本名を突き止め、地元秋田へ。
地元で家業を継いだが、連帯保証人となり破産。離婚し、都内へ出てきた男性。
そこで真面目に定年退職まで社員として働き、その後も仕事をしていた。
ここから見えてくるのは、地元を離れ都心に出て働く人の人とのつながりの弱さだ。
真面目に生きてきたのに、孤独に死んでいった男性。
男性の住んでいた古い古いアパートは、取材の後取り壊された。
そこに住んでいた人も同じような状況の人達。
一人は、行くあてが見つからず自殺したらしい・・・。
第二章は「薄れる家族の絆」として、遺体の引き取り拒否がメインの章。
身元が判明しても、親族から遺体の引き取り拒否される遺体が急増しているという。
年齢的に、引き取り手になるのは、甥や姪の世代。
「ほとんど交流が無かった」と引き取りを拒否する甥・姪の立場もわかる気がする。
独身の場合、あまり親戚付合いをしなくても済んでしまうのも理由だろう。
子供がいると、煩わしいこともあるけど、何だかんだと親戚付合いする機会が多い。
介護のケースでもそうだけど、独身や既婚でも子どもがいなくて身軽だからこそ、
意識して親戚付合いをしっかりしておかないと、あとで困る事になる気がする。
第三章は「単身化の時代-生涯未婚の急増」と題して、50代~60代以上の単身者の
置かれている現状を取材している。
ただ、現在この世代は、生涯単身ではなく、子供と別に暮らしていたり、離婚経験者が多い。
単身者の多くが健康を損なう事や孤独死を恐れて生きている。
また高齢の人ほど、足腰が弱ったり、体の不調からほとんど外出できず、
一人で過ごすことになってしまっている方も多い。
現在50代までに一度も結婚した事がない人は16%だが、この後急増し30%(女性23%)まで、
跳ね上がると言われている。
離婚率も上がっているので、50歳以上で単身の人の割合も今以上に増えるだろう。
単身者の増加で、家族のセーフティネットが急速に崩れていくことに対しての危惧が指摘されている。
第四章では「社縁が切れた後に」として、頼れる身寄りが無い人が頼るNPO法人についてや、
会社を退職(定年退職も含む)した後、孤立してしまう人々の話が語られている。
第五章では「おひとりさまの女性たち」がテーマで、何かあった時、身内の代わりをしてくれるNPO法人に
登録する女性たちの取材をしている。
女性の方が、男性に比べると生活設計もちゃんとしていて、
社会とのつながりも積極的に作っていく人が多い。
それでも、孤独な女性たちの姿を追っている。
第六章は「若い世代に広がる「無縁死」の恐怖」として、この番組を見て、
将来の自分の姿と重ね恐れる若者たちの声を、取り上げている。
ツイッターやネット上で呟かれる「無縁死」への恐れ。
既に孤独を感じ、ネット上でつながりを求める人々・・・。
「人と会わないのは寂しいけど気楽」、この言葉から、
無縁死予備軍が想像以上に多いのではないか・・・と本書では指摘している。
これは、本当にそうだと思う。
ネット上の付き合いは、面倒な事があれば、即付き合いをやめる事もできるし、
お互い遠慮して深く個人的な事を聞いてくる事もなく、ぬるま湯状態な事が多い。
この状態に慣れてしまうと、普通の人付き合いって面倒になっちゃうんじゃないかな・・と思ってしまう。
ネット上の付き合いは、気楽だけど、その分、脆く儚いものだと20年近くネットを使ってると思うし。
ネット社会の問題については2011年2月に放送された「無縁社会〜新たなつながりを求めて〜」で、
ネット社会に耽溺しているような人が取材されていたが、過剰演出だと被取材者達が抗議している。
この番組見たけど、その時は「ここまでネットに依存してる人がいるの??」ってびっくりしたので、
蓋を開けてみれば・・・というのも納得。
第七章では、一度社会から孤立した男性が、まったく赤の他人の一家の中に、
家族同様に迎え入れられた話が載っていて、唯一明るい展望が見える章だ。
無縁死も気になるけど、その前の状態も気になる。
家族や周囲に迷惑をかけたくない、ピンピンコロリ(元気に生きてコロっと死ぬ)が理想と聞くし、
自分でもそうありたいけど、ある本で、ピンピンコロリと逝ける人は40~50人に一人で、
残りの人は、病気になって入院したり、介護が必要になったりするそうだ。
人は迷惑をかけないで生きられない、だから人と積極的につながりを持ち、
迷惑をかけたりかけられたり、それが当たり前の社会にならないと、
高齢化社会の問題は無くならない気もする。
実際、若い内は、一人でどうにかなってしまう事が多いので、
「自分は人に迷惑をかけず頼らず生きている。だから人から迷惑をかけられるのもいや」という人も、
多いと思うのだが、独身の人が増えて(子育てする場合、どうしても人に迷惑かけたり、頼ったりが必要)
そういう意識の人が増えると、結局最期は、自分に帰ってくる、「無縁社会」がより広がる結果に
なってしまうと思う。
本当は、もっと国の福祉が厚くなればいいのだろうけど、今ですら全然足りない介護福祉費、
高齢化が進むこの先、悪くはなっても良くはならない気がする。
福祉先進国スウェーデンですら、地域によっては財政が厳しくなってるという
(スウェーデンの高齢者住宅における栄養失調問題)。
ご近所コミュニティや身内との付き合いをしっかりする、貯金をする、健康管理をしっかりする、
この3点を自分で努力するしかないのかも。
70歳過ぎると、同年齢の友人も頼るのが難しい状態になったりするので(知人に後見人を頼むなら
20歳くらいは年下じゃないと厳しいという話もあるし)、
高齢になればなるほど身内やご近所コミュニティが大切だとも思う。
でも、高齢になってからそれを作るのも難しいので、30代・40代からの準備が大切な気が。
「無縁死」も怖いけど、そうなる前、介護が必要な状態で一人・・というのが、
これから先、福祉の破綻などの可能性も考え、怖い。
一人孤独に亡くなり、遺体の引き取り手も無い人が1年で三万二千人にもいるという。
それら「無縁死」した方達の生きた軌跡を、そして、孤独に生きる無縁死予備軍である人々を
取材・放送し、大きな反響を読んだ「無縁社会」の単行本版。
亡くなったあと、身元がつかめなかった人は「行旅死亡人」とされる。
第一章は、長年住んでいた賃貸アパートで亡くなったにも関わらず
行旅死亡人となった男性の、身元を追う章。
取材班は、あちこち取材して周り、どうにかその男性の本籍と本名を突き止め、地元秋田へ。
地元で家業を継いだが、連帯保証人となり破産。離婚し、都内へ出てきた男性。
そこで真面目に定年退職まで社員として働き、その後も仕事をしていた。
ここから見えてくるのは、地元を離れ都心に出て働く人の人とのつながりの弱さだ。
真面目に生きてきたのに、孤独に死んでいった男性。
男性の住んでいた古い古いアパートは、取材の後取り壊された。
そこに住んでいた人も同じような状況の人達。
一人は、行くあてが見つからず自殺したらしい・・・。
第二章は「薄れる家族の絆」として、遺体の引き取り拒否がメインの章。
身元が判明しても、親族から遺体の引き取り拒否される遺体が急増しているという。
年齢的に、引き取り手になるのは、甥や姪の世代。
「ほとんど交流が無かった」と引き取りを拒否する甥・姪の立場もわかる気がする。
独身の場合、あまり親戚付合いをしなくても済んでしまうのも理由だろう。
子供がいると、煩わしいこともあるけど、何だかんだと親戚付合いする機会が多い。
介護のケースでもそうだけど、独身や既婚でも子どもがいなくて身軽だからこそ、
意識して親戚付合いをしっかりしておかないと、あとで困る事になる気がする。
第三章は「単身化の時代-生涯未婚の急増」と題して、50代~60代以上の単身者の
置かれている現状を取材している。
ただ、現在この世代は、生涯単身ではなく、子供と別に暮らしていたり、離婚経験者が多い。
単身者の多くが健康を損なう事や孤独死を恐れて生きている。
また高齢の人ほど、足腰が弱ったり、体の不調からほとんど外出できず、
一人で過ごすことになってしまっている方も多い。
現在50代までに一度も結婚した事がない人は16%だが、この後急増し30%(女性23%)まで、
跳ね上がると言われている。
離婚率も上がっているので、50歳以上で単身の人の割合も今以上に増えるだろう。
単身者の増加で、家族のセーフティネットが急速に崩れていくことに対しての危惧が指摘されている。
第四章では「社縁が切れた後に」として、頼れる身寄りが無い人が頼るNPO法人についてや、
会社を退職(定年退職も含む)した後、孤立してしまう人々の話が語られている。
第五章では「おひとりさまの女性たち」がテーマで、何かあった時、身内の代わりをしてくれるNPO法人に
登録する女性たちの取材をしている。
女性の方が、男性に比べると生活設計もちゃんとしていて、
社会とのつながりも積極的に作っていく人が多い。
それでも、孤独な女性たちの姿を追っている。
第六章は「若い世代に広がる「無縁死」の恐怖」として、この番組を見て、
将来の自分の姿と重ね恐れる若者たちの声を、取り上げている。
ツイッターやネット上で呟かれる「無縁死」への恐れ。
既に孤独を感じ、ネット上でつながりを求める人々・・・。
「人と会わないのは寂しいけど気楽」、この言葉から、
無縁死予備軍が想像以上に多いのではないか・・・と本書では指摘している。
これは、本当にそうだと思う。
ネット上の付き合いは、面倒な事があれば、即付き合いをやめる事もできるし、
お互い遠慮して深く個人的な事を聞いてくる事もなく、ぬるま湯状態な事が多い。
この状態に慣れてしまうと、普通の人付き合いって面倒になっちゃうんじゃないかな・・と思ってしまう。
ネット上の付き合いは、気楽だけど、その分、脆く儚いものだと20年近くネットを使ってると思うし。
ネット社会の問題については2011年2月に放送された「無縁社会〜新たなつながりを求めて〜」で、
ネット社会に耽溺しているような人が取材されていたが、過剰演出だと被取材者達が抗議している。
この番組見たけど、その時は「ここまでネットに依存してる人がいるの??」ってびっくりしたので、
蓋を開けてみれば・・・というのも納得。
第七章では、一度社会から孤立した男性が、まったく赤の他人の一家の中に、
家族同様に迎え入れられた話が載っていて、唯一明るい展望が見える章だ。
無縁死も気になるけど、その前の状態も気になる。
家族や周囲に迷惑をかけたくない、ピンピンコロリ(元気に生きてコロっと死ぬ)が理想と聞くし、
自分でもそうありたいけど、ある本で、ピンピンコロリと逝ける人は40~50人に一人で、
残りの人は、病気になって入院したり、介護が必要になったりするそうだ。
人は迷惑をかけないで生きられない、だから人と積極的につながりを持ち、
迷惑をかけたりかけられたり、それが当たり前の社会にならないと、
高齢化社会の問題は無くならない気もする。
実際、若い内は、一人でどうにかなってしまう事が多いので、
「自分は人に迷惑をかけず頼らず生きている。だから人から迷惑をかけられるのもいや」という人も、
多いと思うのだが、独身の人が増えて(子育てする場合、どうしても人に迷惑かけたり、頼ったりが必要)
そういう意識の人が増えると、結局最期は、自分に帰ってくる、「無縁社会」がより広がる結果に
なってしまうと思う。
本当は、もっと国の福祉が厚くなればいいのだろうけど、今ですら全然足りない介護福祉費、
高齢化が進むこの先、悪くはなっても良くはならない気がする。
福祉先進国スウェーデンですら、地域によっては財政が厳しくなってるという
(スウェーデンの高齢者住宅における栄養失調問題)。
ご近所コミュニティや身内との付き合いをしっかりする、貯金をする、健康管理をしっかりする、
この3点を自分で努力するしかないのかも。
70歳過ぎると、同年齢の友人も頼るのが難しい状態になったりするので(知人に後見人を頼むなら
20歳くらいは年下じゃないと厳しいという話もあるし)、
高齢になればなるほど身内やご近所コミュニティが大切だとも思う。
でも、高齢になってからそれを作るのも難しいので、30代・40代からの準備が大切な気が。
「無縁死」も怖いけど、そうなる前、介護が必要な状態で一人・・というのが、
これから先、福祉の破綻などの可能性も考え、怖い。
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