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「日本を捨てた男たち-フィリピンに生きる『困窮邦人』」水谷竹秀著:日本を捨てたのか、逃げただけなのか・・ [本ノンフィクションいろいろ]

日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」

日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」

  • 作者: 水谷 竹秀
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2011/11/25
  • メディア: 単行本
7点

「居場所を失って日本を捨て、彼らはフィリピンに飛んだ。待っていたのは究極の困窮生活。
しかし、フィリピンは彼らを見捨てなかった。」
と帯にもあるように、フィリピーナに入れ込み追いかけて、借金から逃れる為、心機一転新しい生活を
するため・・いろいろな理由でフィリピンに渡ったが、困窮生活に陥ってる邦人を取材した本。

2010年、海外で大使館に援助を求めた困窮邦人は768人。
そして、その中で、フィリピンで助けを求めた人は全体の43%、332人とダントツトップだそうだ。
何故、フィリピンがダントツなのか?
それは、フィリピンの貧しい人たちが、当たり前のように困った人に手を差し伸べるからだという。

1章は、職を転々とし、非正規雇用、単純作業、低賃金、広がる格差、独身、
・・・そんな希望の無い生活のまま40代、フィリピンクラブにはまっていた男が、
フィリピーナを追いかけてフィリピンに渡り、困窮邦人となった話。

持参した金が無くなったのが縁の切れ目で、フィリピーナに見捨てられ(このケースでは、
実は嘘だったのだが、フィリピン女性を追いかけて渡航し、お金が無くなり、別れ、
帰国できなくなるというケースは多いらしい)、
日本に帰る金も無い男に対し、貧しいフィリピンの人々は、簡単な仕事の見返りに、
食事を世話してくれたり、シャワーを貸してくれたり、いろいろ面倒をみてくれる。
この男の話は、嘘が多く、お金が無く日本に戻れないと言っていたが、
後日日本に帰国していた事が判明。
しかし、すぐフィリピンに戻ったりもしていて、結局内実がどうなのかはわからないまま。

2章は、若いフィリピン人と結婚できるとフィリピンに連れてこられたが、実はそれは偽装結婚。
戻る金も無く、フィリピンで困窮する50代男性の話。
日本に帰りたがっているが、家族との縁も切れ、唯一頼れそうだった友人とは連絡がとれず。
結局、その友人は孤独死していた事がわかる。

フィリピーナが日本で働くわけ、興行ビザが厳しくなり、偽装結婚して日本で働くフィリピーナが
増えている事などにも触れられている。

3章は、父親が倒れ家業の運送業を任されたが、運営資金をフィリピン・パブなどにつぎ込み、
ヤクザからも借金し、フィリピンに逃げてきた30代男性の話。
真面目に働き、体が動かなくなっても頑張ろうとする男性の父親の話が悲しい。

2008年に日本人男性がフィリピンで殺されたが、ちゃんと捜査もされないまま捜査は終了。
同年、海外で殺害された日本人は20人、その内フィリピンが8人と4割を占めるが、
同じようにちゃんと捜査されていないものが多いという。
フィリピンは、銃が簡単に買え、犯罪があっても、ちゃんと捜査されず、
お金さえ積めばどうにかなってしまうという貧困国故の闇の部分も紹介されている。

4章では、日本で高収入だったにも関わらず、タイ人ホステスとの浮気がばれ、妻と離婚。
その後フィリピンクラブで付き合ったフィリピーナと結婚し、会社が倒産したのを機に、
日本を捨てフィリピンに移り住んだ男の話。
フィリピンで日系企業に就職するが、現地採用の給料は思った以上に安く、
その上病気により下半身不随に。
在宅の仕事に変わるが、フィリピン人の妻とも結局離婚。
歩けなくなった男性をフィリピン人達は世話するが、結局持て余されてしまう。
海外で身体不自由になることの厳しさが垣間見える。

5章は、50歳まで会社一筋、家族もあり真面目な男性が、フィリピンパブに行った事により
血迷ってしまう。
妻と家族に一方的に別れを告げ、フィリピン人と結婚。
会社の希望退職で得た数千万の資金とともにフィリピンに渡る。
しかし、フィリピン人妻の家族や親族のために、家を建て、車を買い、妻の勧めで事業も始めるが、
事業は失敗。
資金が少なくなった頃、離婚。
妻名義の家は取られ、困窮邦人に。

フィリピン人にはまる男性(女性も)とその理由についても述べられている。

最後の締めで著者は、登場した男性達は「日本に捨てられたのではなく、
日本を捨てた」と書いているが、本当にそうとは思えなかった。
職場でうまく行かずやめざるを得なかった人間が「あの会社はダメだったから、
こっちから見切りをつけた」と言っているような気が。

登場する男性のほとんどが、帰国とフィリピンに居続ける事の狭間で揺れ動いている。
以前、終戦後「国を守れなかった」と自分を恥じたり、いろいろな理由で日本に帰らず、
東南アジアなどで現地に残る事を決意した人たちの本を読んだ。
日本とは全く違う環境で、生活基盤を築き、現地で家庭を作り、家族に囲まれそこに
根を下ろした老いた元日本兵達の、日本との決別の意志の潔さとは対照的だ。

貧しい環境に育つ、貧しい環境にいると日本では不幸、フィリピンではお金が無くても
幸せで笑っている著者の主張にも「???」という部分が。
確かに、日本の方がお金が無いと厳しいことは多い。
でも、日本だって、貧しくとも家族に囲まれて笑っている人はいるだろうし、
逆に、フィリピンでも、お金がなく困窮して困り果てている人たちがいるだろう。

ただ、日本とフィリピンで、違う点も多い。
日本人は周囲を気にして迷惑をかけないように気をつける、その分、迷惑をかけられると怒る。
以前は、もし迷惑をかけられても「お互い様」と流していた事も多かったと思うが、
最近は、怒る人が増え、その傾向は、年々強まっている気がする。
逆に、フィリピン人は迷惑をかけることもかけられることも気にしないという。
また、フィリピン人は家族を大切にし一緒にいる事が当たり前だけど、日本人は1人で暮らす人も多い。
この辺に、「困窮邦人」を受け入れる土壌の差というものがある気はする。

「日本はお金が無いと不幸」という側面は確かにあるけど、
上記したように、誰もがそうじゃないと思う。
それに、ここに登場する人たちは、食べられないほど生活に困っていたのではなく、
ギャンブルやフィリピーナで散財し、お金が無くなったりした人だ。
お金が無くても(程度にもよるけど)、家族を思いやり大事にし、支えあっている人達は、
日本にだってたくさんいると思う。
ここに登場する人達は、支えてもらおうという気持ちはあっても、支えようという気持ちは無い。
この本に出てくるほとんどの日本人がフィリピン人と結婚しても離婚されてしまっているのは、
家族を大事にするフィリピン妻と同じように家族を大事にしようとはしない、その結果なような気がして、
日本でもフィリピンでも結局同じ事なのでは・・とも思えてしまう。

著者は、餓死者が出る、孤独死する、そういう日本社会の問題を、
困窮邦人を受け入れているフィリピンとの対比でクローズアップしようとしたのだろうけど、
好き勝手に生きて困窮するのと、家族を思いやり苦労を共にして生きて困窮するのとでは
違う気がする。
体が動く若いころは、家族は煩わしい、1人気ままがいい、迷惑をかけないかわりに、
かけられるのも嫌、気の合う同年代の仲間とだけ楽しく、という考えは確かに歳をとったら困る。
70歳を過ぎた頃から、周囲に頼らなければできないことが徐々に増えていくし、
体が思うように動かなくなったり、病気などになったらなおさら、家族の存在というのは大きくなる。

独身で老いても親族や周囲に支えられて頑張っている人は、若い頃から、
ちゃんと親族と連絡をとったり、行事に出たり、人に何かしてあげる事、
関係を続ける事を義理や嫌々ではなく、そこに楽しみを見出し、当たり前の事のようにやってきている。
逆に、1人が楽、近所付き合いや家族や親戚は煩わしいと距離を置いて、
気が合って楽しい人達だけと付き合っていた人は、老後孤独になりがちだ。

孤立死が問題になっているけど、それよりその前の状況、「1人で生活できないが孤独」の方が
苦しい気がする。
長ければ5年10年15年とそういう状況が続くし。
NHKでも、独居高齢者が病気になった時の問題、病院への負担増、
これ以上独居(近くに頼れる身内がない)の人が増えた場合、そういうサポートが無理になる
(これは介護でも同じ)と、独居高齢者が増えるにつれ、独居高齢者が置かれる状況は厳しくなると思う。

フィリピン人を見ていても、若い人達がちゃんと家族を思いやっているからこそ、
繋がりが維持できるのだと思う。

家族愛の大切さや絆、それを失いつつある日本と、家族の繋がりが強いフィリピンを
比較したいのはわかるが、その中心になるのが「困窮邦人」というピースであることが、
どうも違和感が強くてダメだった。
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コメント 4

コステロ

実際に読んでいないんでよく判りませんが、
この本に出て来る人たちは、動機やきっかけはどうあれ
確かにその時は自分の意志で日本を捨てたんでしょうね。

ただ、捨てたは良いけど、拾うコトができなくなっちゃった、と。
要するに取り返しがつかなくなっちゃっただけだ、と。

元日本兵の方たちとの最大の違いは
自分の意志で帰ろうとしないのか、
それともただ単に帰れなくなっちゃっただけなのか、
その辺にあるんじゃないか、と言うような気がしました。
by コステロ (2012-12-24 09:51) 

choko

コステロさん

そうそう、自分の意志で日本を離れたけど、結局新天地でも
日本と同じようになってしまった、でもフィリピンの方が日本よりは懐が深かった・・
って話なんです。
でも、それは、「日本人」だから特別扱いという要素も入っているようですし、
「日本の家族の絆の薄れを、困窮邦人を受け入れているからと
いってフィリピンと比べて語る・・」
(この部分がこの本のテーマだと思います)
というのは違和感があったんですよ。
貧しい国は、貧しい者同士の互助が欠かせないので、
フィリピン人同士の助けあいになると、
他の貧しい国(特に東南アジア)も同じになっちゃうし。
by choko (2012-12-24 12:26) 

あすは、我が身

私も、その予備軍と言えるかもしれない。
ただ、お金の切れ目は 縁の切れ目
自分勝手に生きたのであれば、自分のケツは自分で拭け
自己責任。
助ける必要もない。
などと、思うのです。
お金で いきるなら、お金をなくすことをしないのが一番。
愛情で生きるなら 愛情が一番。
人の面倒を見れない人が、自分の面倒を見てくれって都合が良すぎるな。 
私も、愛情と お金の大切さをより知ることができたと思います。
あすは、我が身。  いつどうなるか 覚悟を決めて生きる。
海外に行くのであれば、なおのこと、覚悟。
甘い人は、いかないほうがいいよな。
by あすは、我が身 (2014-02-18 14:45) 

choko

あすは、我が身さん

はじめまして、コメントありがとうございます♪

>自己責任。
>助ける必要もない。
この2つは、とても難しいんだと思います。

若い頃は、「なんとかなるさ」と思っていても、
歳をとって体が不自由になってくれば、必ず周囲の
助けが必要になります。
何年も何年も不自由で苦しい状態を過ごす大変さ、不安は、
それと直面しない限りわからないのじゃないかと。

「助ける必要も無い」も、全く知らない人間ならともかく、
身内だったり、知っている人だったら、
普通の人であれば、「助けないこと」で苦しむでしょう。

子供が大人の手を必要とするように、歳をとれば誰でも、
また同じように周囲の手を必要とする・・・
そう認識して生きるのが大切かなと思ったりします。
by choko (2014-02-19 01:14) 

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