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「ネグレクト 育児放棄」 [本ノンフィクションいろいろ]

「育児放棄 ネグレクト -真奈ちゃんはなぜ死んだか-」 著:杉山春 小学館 8点

2000年12月、3歳になったばかりの女の子が段ボールの中に入れられたまま餓死した悲惨な事件のその背景を追ったドキュメンタリー。

最近、親による虐待で死亡した乳幼児のニュースが希ではなく頻繁に流され、書店でも「IT(それ)と呼ばれた子」が文庫化されたり、幼児虐待に関する書籍をよく目にする。

この本の場合、「このような虐待があった」という点だけでなく、その両親の生育暦、家庭環境、そして母親がその時置かれていた立場にも目を向け、何故このような事が起きてしまったのかという事に重きを置いている。

女の子の両親である21歳の若い夫婦は、2人とも恵まれた家庭環境とは言えない所で育っている。

本の中に「この母親は子どもの頃、飢えた場合、何も食べずに過ごす事が多く、自分の子の飢えにも無頓着であったのではないか」というような記述がある。

虐待の連鎖という言葉を思い出してしまった。

「心臓を貫かれて」(上・下巻-文春文庫)という本では、著者自身が自分の虐待されていた幼少期の事を回想し書いているが、この本を読むと、親からの激しい暴力・虐待がいかに人の人格を歪める物なのかが伝わって来て、恐ろしかった記憶がある(この著者の兄は殺人を犯しているが、自分が兄が受けたほどの虐待を受けていたら、自分も同じ事をしただろう・・と著者は書いている)。

「ネグレクト」の方では、酷い虐待・暴力ではなく、「母親からのまっとうな愛情」を受けなかっただけでも、人格形成に大きな影響があるように思えて、余計に不安になる。

この本では、虐待の連鎖だけでなく、母親が抱える育児のストレスの重さと、それをサポートする地域社会の消滅により、どの母親でもこのような状況に陥る可能性があることを示唆しているが、わかるような気がする。

子どもを育児放棄で死に至らしめた母もまた、その親による育児放棄により死に至る可能性もあったが、そこまで到っていないのは地域によるサポートがあったからだと、この本では指摘する。

この家族の近所に住む人々は、「何かあるのでは?」と思いつつ、今の風潮である「プライバシーの尊重」を重視し、声をかけられないでいたという。

死んだ少女の母親は、子どもの発達に悩み、仕事とゲームに没頭し「家事育児は母親の仕事」と全く興味を持たない夫に失望し、一方的に孫の世話手伝う折り合いの悪い義母を、そして義母に懐いた娘を憎む。

このケースは極端ではあるが、子どもの発達の悩み、夫が育児を手伝わない、義母(時には実母)の身勝手な育児介入などは、24時間育児に追われ休む暇も無い小さな子どもを育てる母親にとって、大きなストレスであり、多くの母親がこの幾つかの事には悩んでいると思う。

私自身、子どもが小さい頃は、全く自由な時間が取れないストレスにイライラしていた。私の場合、それを救ってくれたのは、産院で知り合った同じ月齢の子を持つ友人達であった。夜啼き、家事が全くできない、発達の悩み・・互いに励ましあい、乗り切ってきた。長距離通勤で仕事をしていたので、近所に知り合いはほとんどおらず、両方の実家ともかなり遠い私にとって、もし産院での友人達との出会いが無く、1人で育児をしていたら(夫は仕事が忙しく、毎日午前様だった)・・と思うとゾっとする。

1人孤独に育児に追われていた少女の母親に同情する余地はあると思うが、それでも1人の少女が餓死-それも育児放棄によって-という事実は、許される物ではないと思う。

この少女の両親の親としての無自覚さには、苛立ちを覚えもするが、子どもが生まれてすぐ立派な親になれる人は少ない。みな試行錯誤して親として成長していくのだ。

この事件の詳細を知る事により、未熟な親達が、ちゃんとした親になれるようなサポートが充実し(周囲の意識改革だろうか?)、同じ様な悲劇が起こらないような社会を目指していければいいなと思った。


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