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「世界屠畜紀行」内澤旬子著:面白いが、「屠畜」より「部落差別」問題がメインなような・・。 [本ノンフィクションいろいろ]

世界屠畜紀行

世界屠畜紀行

  • 作者: 内澤 旬子
  • 出版社/メーカー: 解放出版社
  • 発売日: 2007/01
  • メディア: 単行本

7.3点

世界の屠畜に関して、その方法や、家畜を屠畜して行われる行事などだけでなく、
屠畜業者への差別や、生き物を殺すことへの考え方・嫌悪感に対する国ごとの違いにも言及した本。

日本では、キレイに切りそろえられたり、パック詰めされた肉がスーパーや小売店に並んでいる為、
その前の工程を意識する人は少ないし、意識したとしても、嫌悪感だけを持つ人も多い。

「肉は食べるけど、その前の工程は考えたくない・全く知らない」人に
「家畜達は、どう屠畜(屠殺)され、どう解体され、肉になっていくのか」を伝える事を通じて、
「屠畜という現実から目を背けず、家畜たちの命やその作業をする人たちに感謝しながら肉を食べよう」
ってのが、この本の意図かと思ってたんだけど、そうではなく、
実はメインは「部落差別」に起因している「屠畜業者差別問題」だった。

とにかく、ずっと違和感を感じたのは、「部落差別問題に起因している屠畜業差別」に関する事なのに、
日本全国どこでも、当たり前のように、「屠畜という職業に」差別があるという趣旨のことが、
何度も繰り返されたこと。
実際、関東以北では、「部落差別」って知らない、もしくは知識として知っていても、
その現状を実際目の当たりにしたことがない人も、地域によっては多いと思う。
「屠畜業者差別」に関しても、「そんな差別あるの?」って思う人も多いんじゃないだろうか。
しかし、この本を読むと、「屠蓄業者は日本全国、どこでもひどい差別を受けている」と思えてしまうし、
この書き方は、今まで考えた事も無かった人に「そうか屠畜業者って差別される卑しい職業なんだ」と
新しい価値観を植えつけてしまう可能性も高い。

最期の方でこのルポが連載されたのが、「部落解放」という月刊誌だったのを知り、
「部落解放」に取り組んでいたり、興味がある人が対象読者なので、このスタンスも納得もしたけど、
「世界屠畜紀行」というタイトルの印象や、「(部落差別問題の一貫として)屠畜業者の差別がある」
の(部落差別問題・・・)という前提がほとんど語られず、「日本人は全員」というスタンスで語られる為、
一部問題を、当たり前の事として拡大して論じているような印象をあちこちで受けてしまった。
「屠蓄業者が差別されない国」=「差別の無い国」のようなスタンスがあったりとか、
全体的に、細かい部分は割愛し、単純に出来事を結びつけて、主観的に結論を出してしまっている
論調がすごく気になった。

「屠畜」という行為に嫌悪感を持つ人は多いし、動物愛護団体の、場合によっては手段を選ばない
活動により、近年確かにそのイメージが落ちている国は多い。
その点に関してどうやったら解決できるかという方向性は、
本書が「部落差別で屠蓄業者は差別されている」の視点から、
「屠蓄業者が差別されるのは変」(しかしこの主張からは「部落差別」という前提が抜ける)という
スタンスで語られている為、ほとんど示されていない。

最近話題の農業畜産高校を舞台とした荒川弘のマンガ「銀の匙」でも、
「肉を食べる=命を奪っている」ということが、書いてあるが、こちらの方が、
私が期待したテーマには近いものが。

ルポの内容自体は、韓国の犬食、バリ島のでの村ごとの祭りで行われる、豚の解体や丸焼き、
エジプトのラクダの屠畜様子や、各家庭で羊をつぶす「犠牲祭」の明るい様子、
同じイスラム教の儀式でも菜食主義が多いヒンドゥー教の国インドでの、
人目を避けるように行われる犠牲祭の様子、
イスラム国家でも、EU加盟を目指すトルコでの「ヨーロッパの価値観」を受け入れた文化の変化、
同じく社会主義国家から、資本主義国家、そしてEU加盟へと社会が変化するチェコでの
屠畜に関する制度の変化(どちらも、各家庭で屠畜ができなくなる)、
アメリカの大規模(すぎる)な屠畜場の現状など、興味深く、面白い内容が多かった。

エジプトや、バリ島、チェコでは、屠畜を子供にも見せるし、
「食べるために屠畜することは、神への供物を捧げ、みんなで食べるために行為なので良い事」
というバリの文化、「動物を犠牲にして人間は生きている事を改めて認識する為に行われる犠牲祭」
「命をもらう為に大切に家畜を育て、どの部分も大切に使うモンゴル」、など、意識も様々。

先進国や一部の国では、動物愛護団体などによる圧力や嫌がらせから、
屠蓄業者が警戒心を強めているケースも多く、屠畜の現場がより人目から
隠されるようになっている傾向もあるようだ。

信じる宗教によって特定の動物を食べない人(イスラム教は豚、ヒンズー教は牛)かなり多いだろうし、
「動物を殺すのが残酷だから肉は食べない」という趣旨から、ベジタリアンになる人は多いだろうけど、
「動物だけ食べない」「肉も魚も食べない」「野菜しか食べない」・・・・など、ベジタリアンでも様々。
動物は食べるだけでなく、化粧品、そのた生活雑貨の様々なものに使われているので、
それすら避けようと活動している団体もあるという←生活するの大変そうだ。

肉を食べる人でも「屠畜に関しては普通は意識していないが、言われれば嫌悪感を感じるけど、食べる」
「命を奪っているからこそ、感謝しつつ食べる」「特に深く考えず食べる」いろいろ。
また、ベジタリアンに対し「動物だって植物だって生きているんだから(動物と魚にも当てはまる)、
区別するのは変」という人もいる。
どれも「主観」の問題だと私は思う。
だからこそ、なかなか相いれないものがあるが、主観に正義・倫理の後ろ盾がつくと、
「自分が正しい!違うのは悪!」と声高に主張することができ、それが長く続けば、
その価値観が優勢になることも多い。
その辺が語られてるかなーと思っていたんだけど、それはほとんど無かった。

具体的なルポ自体は面白かったけど、テーマ自体は「部落と差別」に起因したものを、
「日本人の特質」として論じている為、実際の状態と離れていて違和感がありすぎた。
それに「差別」って、差別の対象は様々だけど、ちょっと調べればどの国でもあることがわかる。
「差別問題」を「屠畜業」だけで論じることに無理がある気もした。
「差別問題」を提起するにも、もうちょっと違う書き方だったほうが良かったような。
そういう意味で残念。
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